低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)と共に生きる

低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)の診断を受けて10年経つ20代の記録

精神科受診*低髄液圧症候群の20代

今回は
退院1ヶ月後に精神科受診した話

このエピソード、
10年経った今でも鮮明に覚えている…笑

 

 

☞医療センターへ通院

週1回の外来で頭痛目眩の薬を
処方されていたけど症状は治まらず。

Dr.「検査はどこも悪くないもんね~」

 「1度心療内科に行かれてみては?」

 「思春期の有名な先生いるから、
  紹介状書きますね」

〖頭の思考停止〗

この不定愁訴

精神的なものなんかじゃない

と悔しくなった

 

精神科病院へ受診

ひっそりとした場所にあるから
益々嫌気がさしたし
精神的なもの、と決めつけるように言った
医療センターのDr.には腹がたった

まず性格テストなるものを受けた

順番待ちの間、
周りにいる同年代であろう
中高生の異様な雰囲気
入院患者が外来待合室に降りて来てて
急に大泣きだす

というあまりにも異様な空間に

〖私、絶対に精神大丈夫やん〗

と確信したのは鮮明に覚えている

 

☞精神科Dr.の診察

母と一緒に診察室へ
事の経緯を説明し終わると

Dr.「お母さん出て」

母が怪訝そうに退出

 

Dr.「ご両親のこと、どう思ってる?」

私「え、普通ですけど(笑)」

Dr.「ご両親のイメージを教えて」

私「母は元気いっぱい、
  父は短気だけど基本優しいです」

Dr.「高校入って嫌なことあった?」

私「文武両道で大変だけど、特には…」

Dr.「この症状はね、解離性運動障害やね」

私「はぁ」〖何それ〗

 

母が再入室し、解離性運動障害と伝える

母「どういった病気なんでしょうか」

Dr.「ネットで検索したら出てくるから」

 「頭痛用に鎮痛剤処方しとくね」

 「はい、もう出ていいですよ」

 

母&私、病院を出た瞬間ブチギレ

 

 

☞次回は、ネットで検索した話

(言われたとおりに。真面目か!)

KNT🗿

 

自宅療養*低髄液圧症候群の20代

前回の内容はこちら↓

1ヶ月の入院*低髄液圧症候群の20代 - 低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)と共に生きる

 

☞退院

ついに家に帰ることが決まって
家の内での伝い歩きなら
どうかにかこうにか出来るけど
それ以外は痺れが酷いため
車椅子で生活することに。

 

☞学校再開

父が朝送ってくれて
帰りは母が迎えにきてくれる
という生活が始まった。

2人とも働きながらで
本当に大変だったと思うし
感謝しかない。

友達も車椅子押してくれたりして
直ぐに馴染むことが出来たけど
頭痛との戦いの始まりでもあった。

 

☞頭痛の酷さが増していく

学校再開しだして頭痛が酷くなった。

授業の途中で保健室へ行くことも増え
授業→保健室→授業を繰り返すように。

ここで、気付く!

〖横になれば頭痛治まるな〗

 

☞外来受診

医療センターへは週1回外来受診するよう
言われていたので頭痛のことを相談。

Dr.「お母さん偏頭痛持ち?」

母「たまにありますね」

Dr.「偏頭痛って遺伝するから薬出そうか」

とのことで、ロキソニンを処方される

(当時はまだ薬局で売ってなかった)

.

.

.

効かんやないかーい💥

 

☞次回、いざ、精神科へ

KNT🗿

1ヶ月の入院*低髄液圧症候群の20代

前回の内容はこちら↓

検査地獄*低髄液圧症候群の20代 - 低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)と共に生きる

 

☞入院生活

入院したのが脳外だったので
周りは高齢者ばっかり。

Nsさん達が寂しくないように
代わる代わる部屋に来てくれたのが
本当に救いだった…!

担当Nsさんは休みの日に繁華街へ
行ったからとお土産を買ってきてくれて(涙)

夜勤の時はナースステーションで
勉強したのも良い思い出。
結局、頭痛が酷くて直ぐ部屋に戻ってたから
今考えると迷惑やったな(笑)

 

☞毎日のリハビリ

痺れはあるけど、踏ん張り方とか
体の使い方を教えて貰って
伝い歩き位は出来るようになった!

このリハビリ室で見かけた
患者さんとセラピストがきっかけで
私は医療現場で働くことを目指したのです。

ある意味、この入院が無ければ
違う人生だったと思う。

 

☞検査結果

Dr.「ギランバレー症候群ではなかったよ
MRIも特に異常ないしね~
これといった病名はつかないね
末梢性神経障害かな…」

私〖え、じゃぁこの症状って何なん〗

Dr.「もうしばらく様子見ようか」

 

☞学校に行きたい!!

当時、高校生だった私は
学校を休むのが本当に気掛かりで…

友達がお見舞いに来てくれる度に
〖早く学校行きたい…〗と思う気持ちが
強くなりNsさんへ直談判してみた。

晴れてDr.許可が降りたので
車椅子で1日だけ登校することに。

まぁ~それはそれはキツくて大変だった。
働く母にも早朝から病院↔学校の送迎で
迷惑かけたしね…

けど〖もう退院したい、家に帰りたい〗
泣きながら訴えて、退院することとなる

 

☞次回、退院後の話

KNT🗿

検査地獄*低髄液圧症候群の20代

前回の内容はこちら↓

はじまり*低髄液圧症候群の20代 - 低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)と共に生きる

 

☞突然の入院

入院が決まったのがお昼前

母が手続きしている間にベッドに運ばれ

担当Nsさんから入院生活について説明を受けて

Dr.からはギランバレー症候群の疑いがあるから

その検査をしていきましょうとのことだった

 

☞検査メニュー

採血 入院から数日は3本/日

注射が苦手で辛かった記憶

 

CT   入院当日

MRI 入院当日

 

髄液検査 入院翌日 

研修医が行うことに(泣)

女医さんだったけど、無表情で更に怖さ増!!

そして、痛すぎて泣き叫び

動くと危ないからNsさん2人から抑えつけられて…

ほんと2度としたくない検査やった

某大学の研究機関で解析するとのことだった

 

血管造影検査 入院数日後

こちらも手の甲から造影剤いれるのが痛すぎて号泣

 

筋電図検査 入院1週目

これも痛くて涙が出たやつ

若いイケメンの技師さんで、ムダ毛のある足を

見られるのがまた苦痛だった(笑)

 

脳波 入院2週目

検査自体はどうもないけど頭のクリームが

気持ち悪くて、Nsさんにシャンプーしてもらった

 

整形外科での検査(脊椎) 入院3週目

検査結果から原因分からず、とりあえず受診

 

 

☞リハビリについて

入院翌日からPTOTさんのリハビリ開始

筋肉は落ちてないとのこと💡

痺れが酷すぎて握力は23→4まで落ちてた

ギリギリスプーンが持てるくらい

足も両方痺れてたから上手く立てず…

毎日車椅子でリハ室へ出棟していました

 

☞次回、入院経過

KNT🗿

はじまり*低髄液圧症候群の20代

前回の内容はこちら↓

自己紹介*低髄液圧症候群の20代 - 低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)と共に生きる

 

☞はじまりは16歳高校1年生の冬頃

進学校だったので0時限目から始まり、

運動部のマネージャーをして

帰宅後は宿題と予習

…と慌ただしい日々を当たり前のように

過ごしていました。

 

☞症状の出現

ある日を境に微熱が続き、頭痛めまい

立ち眩み歩きにくさを感じるようになり

保健室に通うことが増えました。

ちなみに、

担任からは妊娠を疑われていました(笑)

(その頃には別れていたし、

超健全なお付き合いだったけどね)

 

☞かかりつけ医への受診

余りにもめまいが酷くて学校を休み

母とかかりつけの小児科へ行くも…

 

先生「何だろうね、ちょっと白血球高いね」

私&母〖え、原因分からんのかーい〗

とりあえず点滴をして帰宅しました。

 

☞突然の異変

帰宅後、ソファで気付いたら寝ており

夕食だから、と起こされると…

何故か足が痺れてる

手にも力が入りにくい

けど、意識はしっかりあり

呂律も異常ないので様子を見ることに。

 

数時間経つも

痺れは止まらず起ち上がれない!

(正座した後の痺れよりもっと酷かった)

母&父「おかしいよ、点滴のせい?

明日の朝一でもう一回見て貰おう」

 

☞かかりつけ医から医療センターへ

先生

ビタミンの点滴だから副作用とかないんだけどねぇ」

「医療センターに紹介状書くから直ぐ行ってね」

 

医療センターの外来受診すると

直ぐに入院となり検査地獄が始まりました。

 

☞次回、医療センター入院編

検査地獄*低髄液圧症候群の20代 - 低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)と共に生きる

KNT🗿

自己紹介*低髄液圧症候群の20代

初めまして。

低髄液圧症候群と診断されてから10年

現在20代後半の私です。

理解ある職場と巡りあえ、何とか!

医療関係で正職員として働いています。

 

ブログを始めたきっかけは…

学生時代~社会人の10年間を通して

この病気との付き合い方が分かってきたので

低髄液圧症候群脳脊髄液減少症の人へ

少しでも役立つ情報が提供出来たら

と思ったからです。

 

本当に症状は人それぞれなので

一例として見ていただければと思います。

 

☞次回、症状の出現について綴ります

はじまり*低髄液圧症候群の20代 - 低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)と共に生きる

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